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火柱が吹き上がり包み込む勇壮なシルエット

飛騨高山 手筒花火

飛騨高山 手筒花火

勇壮な掛け声とともに火薬を仕込んだ手筒から吹き上がる火柱。その高さは大きなもので8~10メートルほどにものぼり、仁王立ちする手筒組衆に火の粉となって降り注ぐ。
打ち上げ花火とは雰囲気も異なる「手筒花火」は、厄除け・開運祈願として奉納され、令和元年で36回目を迎えました。
「火の粉が傘のようになって自分に掛かるように包まれるのが理想の型です。耳より下に、肩より下に、筒の上部が来るのが粋と言われますが、そうなると筒口から吹き出す火の粉が視界に入るから恐い。でもまっすぐ前を見据え、火柱が垂直にあがるように抱えるんです。」と言うのは飛騨高山手筒組の若頭 沖村哲也さん。
羽織った半被やねじり鉢巻姿に降り注ぐ火の粉は「熱いというより、痛い」と笑います。

37年前、初代の組長、故・畑中昌次さんが有志を集めて始めた手筒花火に魅せられ、沖村さんが手筒組に参加されたのは故郷の飛騨高山に戻った26年前。
当初は数本の手筒の放揚でしたが、今では組長 山下英次さんのもと、組衆は43名、手筒も180本を超え、1時間半に渡って夏の飛騨高山の風物詩の一つにまでなりました。
「平成生まれの20代から上は70代まで、女性組衆も10名となり、親子二代のメンバーや、子供の頃から憧れて見ていた、という人もいます。花火を手で抱えて揚げるなど、はたから見たら危険でやんちゃなことでしょうが、皆、熱意をもってやっているんです。」と沖村さん。
1年間の見習いののち、手筒を持たせてもらえますが、どんなに慣れた組衆でも、放揚の当日は昼から本番さながらに火薬の代わりに砂を詰めた手筒で、火薬を入れた状態を想定し、リハーサルや練習は欠かせないと言います。

初回から発祥の地、東三河(豊橋市)より手筒花火を運び、当日は組衆一同揃っての桜山八幡神社でのお祓いから始まります。
飛騨高山手筒木遣り歌をうたいながら、表参道を抜け宮前橋を通り、宮川沿い弥生橋の下へ向かう姿も見どころの一つ。町火消しの鳶たちのたしなみとして発展し、棟上や祝儀、また祭礼などの練り唄に転用されてきた、江戸独特の木遣り唄の独特の節回しをベースに、これに合わせ組衆がつけた歌詞が短い飛騨高山の夏に合い、この後の勇壮な場面へと厳かな緊張感を持って誘ってくれます。

手筒の凄まじい火柱はやがて頂点に達すると、一瞬の静寂ののち、轟音を伴い上昇した火の粉は、まるで生きているように火の玉となり、その中に仁王立ちする雄姿は見応え充分。
「跳ね粉」と呼ばれる火薬に火が入ると、「ドン」という大きな音とともに手にした筒が跳ね上がり足元に爆ぜる瞬間、手筒組衆の足元を火の海となり包んでいき、観客からは盛んに大きな拍手が贈られます。
命がけで神に捧げ、手筒を揚げる。飛騨高山の手筒花火は毎年8月9日(やくの語呂合わせ)に「厄払い」として、地元の企業や商店が協賛し、続けられてました。
最後は組衆全員そろっての総放揚のクライマックスへ、その熱い心意気と雄姿をぜひお楽しみください。

片手でもつ「小筒」と両手で抱える「大筒」があり、鉄粉と火薬を詰めるとその重さだけで8キロほどになるものも。
終わった後の手筒は、協力企業へ厄除け祈願の御守として渡され、ホテル館内でも「白川郷」にかざられています。

2020/06/25 更新 取材協力:飛騨高山手筒組

飛騨高山 手筒花火

飛騨高山 手筒花火

高山市公式観光サイト https://www.hidatakayama.or.jp/
加藤訓成社中による三味線や二胡、童心・飛騨高山太鼓団との共演や打ち上げ花火も注目です。

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