地元民がとっておきにしている“たばる”な情報を突撃取材!
- スポット
- 歴史・文化
- まちなか
- 通年
「屋台組」が守る飛騨高山の宝物
高山祭屋台 鳩峯車(きゅうほうしゃ)~vol.2~ 小さな屋台の大きな魅力
日本三大美祭にも数えられる高山祭。
これは、日枝神社例祭「山王祭」(4月14日・15日)と桜山八幡宮例祭「八幡祭」(10月9日・10日)の総称です。
豪華絢爛な屋台(やたい)が魅力のこの祭は、2016年に「山・鉾・屋台行事」として「ユネスコ無形文化遺産」にも登録されました。
祭屋台の維持管理から祭礼での曳き出しまでは「屋台組」という住民組織によって担われています。
この連載では秋の高山祭、八幡祭で曳き出される屋台の一つ「鳩峯車(きゅうほうしゃ)」を守る「鳩峯車組」を取材し、その歴史や魅力に迫りました。
(vol.1 から続く)
すべての幕が「つづれ織り」
「鳩峯車という屋台の魅力はなんですか?」
鳩峯車組で生まれ育った川上富子さんにそう問いかけると、悩むことなくこう返ってきました。
「幕を見てほしい。5枚の幕すべてが、つづれ織なんです!」
つづれ織とは、縦糸を隠すように色のついた横糸のみで柄を表現していく伝統的な美術工芸で、
ノコギリのようにギザギザに研いだ職人自身の爪で横糸を掻きよせる「爪掻き」という技法で織られます。
鳩峯車は、前・横面の胴掛け幕に加え、後面に掛け軸のように飾られる「見送り幕」は2種類を所有。計5 枚の幕すべてが、途方も無い手間と高い技術を用いたつづれ織りで仕上げられているのです。
さらに、祭礼2日目の10月10日だけにしか掛けられることのない「本見送り」と呼ばれる見送り幕は、毛と絹のみで作られた「毛つづれ」という大変珍しい品。
京都で調達されたこの5枚の幕からは、「自分たちの屋台を立派なものに」とこだわった強い想いが感じられます。
現在使われている幕は昭和54年に新調複製されたもので、これを手がけることのできる工房は国内に2件しかなくなったのだそうです。現代の職人によって、昔ながらの爪掻き技法で仕上げられました。
色褪せなどがあり引退することとなった当時の幕も、屋台蔵で大切に保管されています。
「幕の絵柄も興味深いですね」
写真を見せていただきながら、つい見入ってしまいました。
様々な人種が描かれたエキゾチックな胴掛け幕や、鳳凰と八仙人に鮮やかな青が効いた替え見送り幕。そこへ唐草の刺繍が施された水引幕という柄同士を絶妙に合わせた、お洒落さを感じる佇まい。
本見送り幕にはおそらくライチであろう樹木の下に集う人物が描かれており、その足元には一角獣のような生き物が見られます。
この不思議な絵柄は、おめでたい吉祥柄を選んだのだろうと言われていますが、まだ謎の部分もあるようです。
小さな屋台に繊細な彫刻
祭屋台は彫刻も大きな見どころ。鳩峯車には、明治24年~30年(1891~1897)に行われた「明治の大改修」で四面に彫刻が加えられ、現在と同じ姿になりました。
「飛騨の名工」と呼ばれる谷口与鹿など、多くの飛騨の匠が屋台彫刻に携わりました。
与鹿もそうであったように、大工の流れをくむ彫刻師が大きく迫力ある彫刻を手がけた屋台がほとんどであるのに対し、鳩峯車の彫刻を手がけた江黒尚古(えぐろしょうこ)という人物は、現在の「一位一刀彫」の全身となった、小さな根付を作る職人でした。
数ある祭屋台の中でも特に小ぶりな鳩峯車に、根付彫刻師が手がけた繊細な双竜と獅子の彫刻はよく似合います。
記録に残る御所車のエピソード
以前の屋台「大津絵」の車輪は四輪でしたが、鳩峯車として再建された際に三輪の御所車が採用されました。自動車もない江戸時代。名古屋へ発注した大きな車を、関所を越えてはるばる運んできたということも、当時の資料に書き残されています。
「御所車の車輪を三輪にするか四輪にするか、意見が分かれてなかなか決まらなかったようなんです」こんな、当時の白熱が伺えるエピソードも。
記録によると、車輪の数は結局何度話し合っても決まらず、「神様に決めて貰えば誰も文句はないだろう」と、神社で神籤を引いて決定されたのだそうです。
屋台組には屋台や道具だけでなく、江戸時代の様子を知ることのできる貴重な資料も多く残されています。
当時の熱い想いを引き継ぐように、現代の屋台組も誇りを持って祭に従事しているのです。
\続きはコチラ♪/
2018/12/14UP 取材協力:巻葉屋 分隣堂
高山祭屋台 鳩峯車
アクセス | 〒506-0842 岐阜県高山市下二之町上組 |
---|---|
開催日 | 秋の高山祭「桜山八幡宮例祭」 10月9日・10日 |